Apple、9人の重要人物


スティーブ・ジョブズ (Steve Jobs)

アップル創業者。'85年に一度退社するも、'97年に復帰しAppleを立て直す。

養子として育てられる。リード大学を半年で中退。その頃禅にはまる。

Atariにエンジニアとして入るが、WozとApple Iを作り、独立。

Apple IIMacintoshにより莫大な富を得るが、現実歪曲空間と呼ばれる

特殊な個性の為に役員会から追放される。

その後、NeXT、Pixerを立ちあげ、1997年にAppleに復帰。

iMac,iPodと立て続けに成功を収め、Appleを再建した。

Pixer株の売却により、Disneyの筆頭株主、役員でもある。

1955/2/24生。ベジタリアン


スティーブ・ウォズニアック (Steve Wozniak)


(写真右)アップル創業者。1950/8/11生。「Wozの魔法使い」とあだ名される。

1971年、HPのインターンシップでJobsと出会い、Appleを設立する。

'76年にApple I、'77年にApple IIを実質一人で作りあげる。

'81 プライベートジェットが墜落し重傷を負う。

'85 Apple IIの扱いに不満を持ちAppleを退社。

天才的なエンジニアで、とんでもなくいたずら好き。


マイク・マークラ (Mike Markkula)


CEO:1981-83。二人のSteveとApple社を設立。社員番号3。1997年退社。

1942年生。Intelなどのストック・オプションで財をなしリタイヤするが、

ATARIのBushnell仲介でJobsを知る。25万ドルを出資しAppleに参加。

Jobsの復活により、それまでの経営の責任を取らされて辞任する。


ジョン・スカリー (John Sculley)


(写真右) CEO:1983-93。元ペプシコーラ社長。Jobsを追放した。

1939年生まれ。Jobsに1年半に渡り口説かれてApple入社。

その時の「残りの人生、砂糖水を売りたいか?世界を変えたいか?」は有名。

'85年、JobsによるScalley失脚計画を知り、逆にJobsを追放する。

のちに自身が創り出した物としてPDAのNewtonに力を注いだ。

'91年頃からは、Apple経営の熱が冷め、'93年にAppleを去った。


ジェフ・ラスキン (Jef Raskin)


マッキントッシュ開発の立案者。Jobsと対立し1982年に退社。

1943年NY生まれ。1974年までカリフォルニア大学の助教授を勤める。

'79年、一般人向けのMacintoshプロジェクトを立ち上げたが、

'81、企画に加わったJobsと対立することになり、翌'82年退社した。


ジャン=ルイ・ガセー (Jean-Louis Gassee)


Apple社長を経て、副社長に。1990年退社し、Be社設立。

1944年パリ生まれ。Exxon, HPを経て、'81年にApple入社。

'85年より仏アップル社長、その後、本社副社長として技術担当に。

Sculleyとの対立により、'90年にAppleを退社し、Be社を設立。

次期MacOS争いで、Jobs率いるNeXTに負ける。


マイケル・スピンドラー (Michael Spindler)


CEO:1993-96。ディーゼルとあだ名された。

1942年ドイツ生まれ。Intel時代にMarkkulaと知り合う。

Apple Europe社長から本社COO、CEOとなる。

PowerPC移行などを行うが、Appleの財務悪化を阻止できず、

後半はAppleの売却を計画するも失敗に終わる。


ギル・アメリオ (Gil Amelio)


CEO:1996-97。元National semiconductor CEO。財政難を脱し、NeXTを買収した。

1943年NY生まれ。1996年、財政難を立て直す再建屋としてCEOに就任。

次期Mac OSとしてBeOSではなく、Jobs率いるNeXTのOPENSTEPを選択。

NeXT買収後に次第にJobsと対立し、1年半と短期でCEOを辞した。


ジョナサン・アイブ (Jonathan Ive CBE)


現在の工業デザイン部門のTop。iMaciPodをデザインした。

1967年ロンドン生まれ。1992年渡米し、アップル入社。

2006年、CBE(大英帝国勲章の一つ)を授かる。



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